武家政権はここから始まる
巨徳山北條寺

源頼朝が源氏再興を祈願し、北条時政が挙兵を決意したのは巨徳山・北條寺

建長寺派の禅の心を伝える北条寺

禅の心

札 所

世話人会にて、北条寺の札所について知りたいと言うご意見がありましたので特集をつくりました。

北条寺には伊豆八十八ヶ所十三番、駿豆両国横道三十三ヶ所八番、伊豆中道三十三ヶ所十六番の札所になっています。八十八ヶ所霊場・三十三ヶ所霊場が誕生したわけは次のとおりです。

弘法大師は宝亀五年(874年)に讃岐国の屏風浦(香川県善通寺市)に生まれ若くして四国の山々を修行して回った。大師42歳の時、修行した地を一巡して八十八ヶ所の霊場を定めたと一般的には信じられています。

八十八ヶ所と言う数字は男42歳、女33歳、子供13歳の厄年を合わせた数と言われています。

古くは真言宗開祖の弘法大師の遺徳をしたう僧侶たちの山岳修行のひとつとして四国各地の霊所をめぐり歩いたもので、一般の人が巡礼に出はじめたのは15世紀室町時代の半ばのこととみられます。

ひとつには交通の発達、一般の農民層が裕福となったため長途の社寺参詣の旅が可能となったからです。

三十三観音霊場とは、観音菩薩が三十三の姿に変わり衆生を救うと言う観音信仰は、平安時代に「両国三十三観音霊場」が成立し、「巡礼」の功徳が広まるとともに民衆化します。

中世には「坂東三十三観音霊場」「秩父霊場」が成立。江戸時代になると全国各地に霊所が成立し、観音信仰が広がりを持ちます。

伊豆地方では「駿豆両国横道」の他に「伊豆横道」「伊豆中道」等の観音霊場が知られています。

「駿豆両国横道」各霊場は、歴史が古く、弘法大師や行基菩薩と縁のある寺が目立ちます。また真言宗や元真言宗の寺が多く、江戸時代まで幕府の厚い庇護を受けていました。

しかし、明治初期の廃仏毀釈により、廃寺あるいは無住となり衰亡する寺も多く、残された古い堂宇や観音像が長い歴史を語っています。

多くの霊場で、巡礼の名残の江戸期の巡礼供養等や奉納巡礼絵馬を見ることができます。というのは、江戸時代後半に巡礼が終わった人から、菩提寺が奉納巡礼絵馬を奉納されているからです。

北条寺にも奉納巡礼絵馬が旧堂に多数残されていたので、このほど整理して年代順、徳川将軍別に展示いたしました。是非本物を見てもらいたいものです。江戸時代の様子がよくわかります。

展示の作業に檀家様の久保田辰弥様、室伏利夫様の協力により展示することができました。ご協力ありがとうございました。

※「菩提樹」は北條寺の寺報です。刊行に合わせ掲載してまいります。

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