武家政権の源流 北條寺

源頼朝が祈願し、北条時政に挙兵を決意させた観音像

本尊は、源頼朝が源氏再興を祈願して巡祥した三十三観音の一つです。

頼朝の舅である北条時政 も深く尊崇し、源氏再興を願い、武運長久を祈願するため100日間観音堂に籠もったといいます。

満願の明け方に夢のお告げを受け挙兵、ついには源氏再興を成し遂げ武家政権を樹立します。

観音像は、言い伝えによると千二百年以前に日本に渡られ、江間村(現在の「伊豆の国市江間」)の観音院(寺号)に安座されていた、といいます。

頼朝挙兵時の兵力は、源氏・北条勢合計で85騎ほど (源平盛衰記)。対する山木判官平兼隆の軍勢は数的に優位で、館も「伊豆で一、二を争う堅固な城構え」 (日本城郭大系)とされ、非常な難敵です。

決断には「勇気と熟慮とともに切れ味鋭い戦略と戦術」が存在したと思われます。

決起の日は、三島大社の祭日で多くの山木勢が、館から数キロ離れた三島大社界隈で縁日を楽しんでいたとか。

歴史を動かす決断は「勇気、熟慮、切れ味鋭い戦略、戦術」と、それらを包み込む怜悧な「人間観察」があったようです。

往時の北条氏自体の兵力は30~50騎程度(「鎌倉北条一族」・奥富敬之著)のようです。少ないです。

100日間ほど考え込む分水嶺の様な数です。

この日以降の武家政権成立の歴史をみると、怜悧な「人間観察」は北条氏の大きな武器と言えそうです。

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